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病室102 episode.09

episode.09

死にたい

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10/11。今日はテストだった。

前日は4時まで頑張ったおかげで、ちゃんと解答欄は埋めるのことができた。

今、僕が頑張っているのは、大切な人のおかげと、しいちゃんに立派な孫の姿を見て欲しいからだ。

 

午前中、3教科のテストが終わり、昼飯を買ってまたあの病室へ向かう。

 

「じいちゃん、来たよ。」

また、いつもと同じように会話をする。

今となっては、喋る言葉一つ一つにさえ、何か、良くないものを感じてしまう。

「来たねゆう。」

相変わらず、言葉すらも痛い。

「良くならないねぇ」

「うぅん...もぉねぇ、

 

 

 

死にたいよ。」

 

 

 

さらっと。自然に。多分、素直に。じいちゃんよ口からその言葉が漏れた。

じいちゃんは天井をみつめてる。

本気なのだろうか。

いや、本気なのだろう。

僕は、次に何をいえばいい。

 

まぁ、とても良くないことだと思った。

同時に、仕方ないのかなとも、思った。

すんなりと、受け入れてしまった。

 

そして、僕が初めて本気の、本当の意味での、「死にたい」という言葉を聞いた瞬間だった。

まずい。

「・・・うん。」

僕は今日も、うん。と応える。

安楽死。出来ないのかねぇ。」

「・・・うん。」

まずい。

こみ上げてくる。

お門違いもいいところだ。僕が泣いてどうする。死にたいと言っている、じいちゃんの前で、僕が泣いてどうする。僕が泣いてちゃダメだろ。

もし、僕が泣いて何か、じいちゃんの気持ちがかわっても、それには僕は納得できない。

だから、僕が今泣くべきではないんだ。

「日本じゃ、安楽死は出来ないはずだよ。」

冷静に、僕の知っている情報を教えてあげる。

「・・・??」

あれ?というような顔をしている。

「お医者さんにも4回くらいお願いしてるんだけどね、んん。」

首を振り、顔をしかめて、断られたと教えてくれる。

それはそうだ。日本でそんなことをすれば殺人とも同じ扱いになりかねない。

たしかどこか・・・スペインとかで出来たような。

 

そんなことを考えて、じいちゃんの言葉から逃れようとするけど、どうもうまくいかない。

 

「死にたい」

 

高校生である僕は、こんな言葉、学校で幾度となく聞いてきた。多分僕も、使ってしまったことがある。それは、今後悔している。

「あー、だる。死にてぇ。」

「振られた。死にたい。」

「暑い。死にそう。」

「あー。死にてぇ。」

そんな具合に。紙切れよりも軽い気持ちで口にしている人が多い。

 

改めて噛み締める。僕は、生まれて初めて、本気の、「死にたい」という言葉を聞いた。

先のない、あるとすれば痛みしかないような老人は、そう思わざるを得ないのかも知れない。

人はいずれ、年でこの世を去る時、ベッドの上で、痛みだけの相手をしなければならない日がくる。

そういう意味では、「死にたい」と本気でいう人は、いずれは自然で、万人なのかもしれない。

 

僕にはじいちゃんの言葉は重すぎて、まだ整理が付いていない。

まだ時間はあるのだろうか。

あと何年、何ヶ月、何日、何分、この人はこの世にいられるのだろうか。

そう考える自分がいる。

出来たら僕が島にいる間に看取りたい。

それは早く逝けとかそんな、不謹慎な意味とかではなく、素直に本気でそう思う。

ここまで一緒に頑張ってきたんだ。

最後まで僕が見てやりたい。

 

けど、わがままを言うと、まだまだ生きてもらいたい。

20歳になって、成人式で島に帰ってくるまで生きていてほしい。

僕が結婚して、その嫁さんも、息子も、見てほしい。

 

これから僕はじいちゃんに、背広を買ってもらう。じいちゃんと写真だってとる。

じいちゃんがいなくなる前に、出来るだけ、今まで出来なかったことをしよう。

逃げてきたことをしよう。

僕のためにも、じいちゃんのためにも。

きっと僕には思い出になる。

じいちゃんにはばあちゃんに聞かせるいい冥土ノ土産になる。

「死にたい。」そう言ったじいちゃんの、死ぬまでの時間を、できるだけいいものにしよう。

 

いつものことだけど、

明日も、ここに来ることを、決意した。